先日、ある妊婦さんのご主人にこう言われました。
「産科の開業医はまるで『かごの鳥』と同じですね」
開業以来の私の行動を振り返ってみるとまさしくその通りだと気づきました。
お産は、受け持っている妊婦さんの予定日がまだ先でも、いつ産気づいたり、容体に変化が起きるかわかりません。だから遠出ができず、私は海外旅行に行ったことがないのはもちろん、パスポートを持ったことさえありません。例え近くでも、いざという時に車で帰ることができない島に渡ることはひかえるようにしています。毎日が24時間待機のようなものです。
それでもお産はやりがいがあり、楽しくもある。お産で深夜に起こされても分娩室に入るとなぜか元気がでてきます。
陣痛で苦しんでいた妊婦さんが、私の顔を見るなり、「先生を待っていました・・・」(後は言葉になりません)
本当は私を待っていたのではなく、麻酔を待っていたのです。麻酔をして一分も経たないうちに、激しい痛みで声をあげていた産婦さんの表情が和らぎ、「先生、ありがとう!」とニコッとしてくれます。痛みから解放されホットした産婦さんの顔を見ると、「産科医になって良かった!」と私も嬉しくなる。 医者冥利につきる瞬間です。
この本を書くにあたっては多くの人たちに励ましていただきました。5つの章には、いずれも現在の産科学の常識に真っ向から異を唱える内容が含まれています。大きな議論が起きるでしょう。「あなたはパンドラの箱を開けることになるよ」という忠告もありました。
40余年の研究の集大成とはいえ、一開業医の立場でそこまで踏み込んでいいのかと何度も逡巡しました。そんなとき、私の背中を押してくれたのが、麻酔科の医局時代に仰ぎ見た大先達、井口潔先生(九州大学名誉教授)の著書にある次の言葉でした。
〈科学は花びら一枚だってつくることはできない。しかし、日本の伝統に科学の光を当てると、人間がどう生きなければならないかという秘密を探り当てることはできる。
医者や科学者は人類が繁栄する方向に努力する責務がある〉
迷いがなくなりました。これから生まれてくる赤ちゃんのために、書かなければならないのだと、それが産科医としての私の使命と自分に言い聞かせました。
この本は私が取り上げた約2万人、とりわけ当院で生まれ育った約1万4000人の赤ちゃんの臨床データに基づいています。人間が恒温動物であり、哺乳動物であることの意味を、身をもって教えてくれたすべての赤ちゃんたちとの出会いに感謝します。
赤ちゃん、ありがとう!
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