「激痛に耐えるお産」は母親にも赤ちゃんにも危険
◆ 日本の「お産の常識」は非常識

日本の「お産の常識」は非常識だと私が考えるのは、安産にするための工夫(科学)がないからです。
現在、ほとんどの産婦人科や助産院では痛みをとらない自然分娩が当たり前のように行われています。妊婦さんは、母親教室などで「お産は痛いのが自然」と刷り込まれ、「痛みを乗り越えてこそ愛情が湧く」などと根拠のない「痛み信仰」を植え付けられています。
では、麻酔をして帝王切開で生んだお母さんは赤ちゃんに愛情が湧かないのでしょうか。麻酔をするかどうかで、赤ちゃんに対する愛情度が変わるはずがありません。
本当は、女性は誰も痛すぎるお産を望んでいません。しかし、自然分娩の長所だけが報道に取り上げられ、短所については誰も真実を語ろうとしないためにお産の痛み信仰がどんどん広がっているようです。
自然分娩にははっきりした短所があります。
母親を痛みで苦しめるだけではありません。分娩時の我慢できない痛みは子宮内の胎児にも悪影響を及ぼします。産痛が強くなると我慢できずに母親の呼吸が速くなり、過呼吸で意識が朦朧となります。母親の過呼吸は子宮胎盤血流量も減らし、胎児を低酸素血症(胎児仮死)に陥れます。我慢できない痛みを麻酔なしに生ませる自然分娩は、私の目には異常分娩(非生理的)としか映りません。
 
痛みには我慢できる痛みと、我慢できない痛みがあります。生理痛程度の痛みなら我慢できるでしょう。ところがお産は多くの場合、我慢できない痛みを伴います。
通常、我慢できない痛みは、病気や事故によって起きますから、治療の際に痛みの緩和が必要です。虫歯を抜くとき歯科医は局所麻酔をして抜歯します。それは麻酔をしないと患者さんが痛みで動いてしまって安全に治療が出来ないからです。同様に、外科の治療でも何らかの麻酔をします。
お産でも帝王切開の場合は必ず麻酔をします。目的は痛みをとることだけでなく、筋肉を弛緩させるためです。開腹手術の時、筋肉が弛緩していなければ、腸がお腹の中から出てきて安全に手術ができません。麻酔で産道・会陰部の筋肉を弛緩させれば、赤ちゃんはよりスムーズに娩出し、分娩時間が短くなり、また会陰部の傷も少なくてすみます。
通常分娩の際にも帝王切開と同様に麻酔を行えば、より安全で母子に優しいお産が可能となります。
 それなのに、日本では通常分娩の場合は「病気ではない」とされているため、医療側にはお産の痛みをとらなければならないという発想がありません。あってもごく一部の産科施設だけです。お産の痛みを我慢させることによって、母と子に何らかのメリットがあれば痛いままのお産もありかも知れませんが、メリットがないばかりか、母親と子宮内の赤ちゃんを苦しめるのですから、「百害あって一利なし」です。医療が整った先進国で麻酔をしないで痛いお産(自然分娩)を強いられているのは日本だけではないでしょうか。
もし、外科医や歯科医が麻酔をしないで手術や抜歯をしたら、患者さんは二度と行かなくなるでしょう。しかし、日本ではお産の痛みを我慢するのが美徳のように思わされているために、麻酔をしなくても医者に文句をいいません。国民は自然分娩の「自然」の言葉に騙されているのではないでしょうか。分娩時の過度の痛みに耐えることは、美徳ではなく、子宮内の赤ちゃんにも大きな負担をかけることを妊婦さんは知らされていないのです。
なぜ、先進国で日本だけ出産時の産科麻酔が普及せず、妊婦さんたちは、「痛すぎるお産」を強いられなければならないのでしょうか。
理由があります。
日本では産科医不足のため、国策として助産師による分娩が推奨されてきました。助産師は医師ではないため、麻酔をすることができません。助産師は自然分娩しかできないのです。だから「痛みを乗り越えてこそ愛情が湧く」といって妊婦さんに痛みを我慢してもらうしかない。本当は助産師の方々も自分たちで麻酔ができるものなら痛みをとってあげたいと考えているのではないでしょうか。


◆「和痛分娩」のススメー麻酔の効用ー
私は当院で出産されるすべてのお産に麻酔(陰部神経ブロック麻酔)をします。
目的は三つ。第一は母親の痛みを和らげること。二つ目は麻酔の筋弛緩作用で狭い産道の筋肉を弛緩させ、より速やかに赤ちゃんを安全に娩出させる安産効果に優れていること。三つ目は、痛みからくる母親の過呼吸を防ぐことによって、子宮胎盤血流の減少を防ぎ、赤ちゃんを低酸素血症から守る効果があるからです。
だからといって、自然分娩を全否定している訳ではありません。
当院の母親教室を受講された妊婦さんにアンケートを取ると、90%は「我慢できる程度の痛みはむしろ経験したい」「我慢できなくなったら麻酔をしてください」と答えます。ほとんどの妊婦さんは完全に痛みを取る無痛分娩を希望されていません。自然分娩の長所を生かし、短所(痛み)を医学の力(麻酔)で和らげ、母児を痛みから守ってあげるのが「理想の分娩」と考えます。我慢できない痛みの6割〜8割が取れれば産科麻酔法として大成功と考えています。
当院ですべてのお産に麻酔をする理由は、過呼吸をきたす我慢できない痛みに耐えることが「自然=正常」なお産ではなく、母親の過呼吸を防ぎ、同時に麻酔で産道の筋肉を弛緩させ、安産に導くいわゆる「和痛分娩」こそが、より自然(正常)なお産だと考えているからです。

「和痛分娩」の麻酔法には大きく分けて2種類あります。背中から脊髄の側まで針を刺し、細いチューブを通して麻酔薬を注入する「硬膜外麻酔」と、産道の陰部神経が通っている部位に局部麻酔する「陰部神経ブロック麻酔」です。昔、日本で全身麻酔が流行りましたが、母親の意識がなくなるのは危険という理由から現在はほとんど行われていません。
「硬膜外麻酔」と「陰部神経ブロック麻酔」の長所は全身麻酔と違って母親の意識があることです。いずれの麻酔法でも痛みの7〜8割を緩和することができますが、2つの麻酔法には長所と短所があります。
「硬膜外麻酔」は陣痛(子宮収縮によるお腹の痛み)を緩和するのに優れているかわりに、弱点は産道とくに出口の部分の痛みには効き目が少ないことです。一方の「陰部神経ブロック麻酔」は子宮収縮の痛みを緩和することはできませんが、産道と肛門の周囲の痛みをほぼ100%とることが可能です。
お産は最後ほど痛いといわれ、最も痛い部位は産道と肛門の周囲です。陰部神経ブロックは主に産道の痛みを和らげ、筋弛緩がすぐれているため産道が硬い初産婦の方にはとくに有効です。
私が行っているのはこの「陰部神経ブロック麻酔」で、これまでに1万人以上の産婦さんに陰部神経ブロック麻酔をしたことになります。この方法を推奨する理由は、まず安全で、約7割の痛みが緩和できること。さらに他の産科麻酔法に比べて、自然の子宮収縮によって胎児を押し出す働きはそのまま残しながら、産道の筋弛緩作用で赤ちゃんが通りやすくする理にかなった麻酔法だと考えるからです。
ドイツでは無痛分娩といえばこの「陰部神経ブロック麻酔」が一般的な麻酔法といわれていますが、日本では長い歴史がある麻酔法(1928年に日本に紹介された)にもかかわらず、あまり普及していません。
 それは、背中から注射する「硬膜外麻酔」は麻酔医によって行われるのに対し、産道内に注射する「陰部神経ブロック麻酔」は産科医が行なうことになるからです。産科の経験がない麻酔医にはやろうと思ってもどこに打てばいいかわからない。一方の産科医には麻酔の経験がある医師が少ない。
だから陰部神経ブロック麻酔は普及しないのです。「無痛分娩」や「和痛分娩」を採用する病院では、もっぱら専門の麻酔医に硬膜外麻酔を打ってもらっています。そのため、深夜や早朝など、麻酔医がいない時間帯に出産となった場合、麻酔をしてもらえないというケースが多いようです。
私は産科医自身がもっと積極的に出産の痛みを和らげることに取組むべきだと考えます。国も政策的に、産科医に麻酔医の資格を取るように働きかけ、「産科医麻酔科医専門医制度」を推進すべきではないでしょうか。そうすれば、「和痛分娩」を希望する多くのお母さんが麻酔によって安全に赤ちゃんを生むことができるようになるはずです。産科医や麻酔医不足も改善され、分娩中の事故も減るはずです。

著書「カンガルーケアと完全母乳で赤ちゃんが危ない」(久保田著 小学館)より引用