はじめに 人間は恒温状態を維持するために放熱機構と産熱機構を作動させ、体温調節を行っている。安静時において、通常(快適)の環境温度下では産熱に対して放熱量を調節(末梢血管の収縮/拡張)する事で恒温状態を維持している。しかし、震えや汗をかく様な低温/高温環境下では放熱量の調節に加えて、産熱亢進/産熱抑制という体温調節機構が作動する。例えば、分娩直後の著しい環境温度の低下に遭遇した赤ちゃんは、末梢血管収縮(放熱減少)と啼泣(筋肉運動=産熱亢進)によって体温低下を防ぐ。一方、高温環境下では末梢血管拡張(放熱促進)と睡眠(筋弛緩=産熱抑制)によって高体温(鬱熱)から身を守る。新生児の体温、心拍数、行動などの観察から、放熱機構には末梢血管の収縮と拡張が、産熱機構には筋緊張と筋弛緩が体温調節機構に重要な役割を果たしている事がわかった。 低温環境が赤ちんの体温調節機構に及ぼす影響 寒冷刺激のメリット・ディメリット 胎児は分娩を境に急激な環境温度の低下に遭遇し、生後1時間以内に約2.0℃〜3.0℃の体温下降を余儀なくされる。胎内(38℃)と胎外(24~26℃)の環境温度差は出生直後の新生児にとって、“寒冷刺激”として呼吸を促進する上で重要な役割を果たす事がわかっている。その寒冷刺激に伴う体温下降から身を守るために、児は産熱亢進と放熱抑制という体温調節機構を作働させる。しかし、産熱(筋肉運動)には多くのエネルギーが消費されるため、寒過ぎは低血糖症を招く要因となり児にとって不利益である。また、放熱を防ぐための末梢血管収縮が長時間に及んだ場合、消化管血流量の減少を引き起こし、哺乳障害の原因になる事がわかった。 新生児早期の哺乳障害は低体温が原因 初期嘔吐に代表される新生児早期の哺乳障害の主原因は、出生直後の低体温から身を守るための体温調節機構(末梢血管収縮)が深く関与していると推察された。“食欲能”を示すと思われる吸啜反射は出生直後の低体温の時期では乏しく、低体温から恒温状態へと体温が上昇するにつれてその反射が強くなる傾向が認められた。また、初期嘔吐は中枢と末梢の深部体温差が大きいほど多く観察された。末梢深部体温の下降は足底部の血流量減少のみならず、消化管血流量の低下をも引き起こしている可能性が示唆された。消化管血流量の減少が蠕動運動などの機能低下を招き、初期嘔吐や胎便排泄遅延、更には、胎便性イレウス、壊死性腸炎などの合併症を引き起こしている可能性が高いことがわかった。 赤ちゃんにも予防医学を 新生児早期の“初期嘔吐”はこれまで生理的現象として当然の様に考えられている。しかし、胎内と胎外の環境温度差(約13℃)を少なくする生後2時間の体温管理(保育器内収容:34〜30℃)によって、この初期嘔吐は著しく改善し生後1時間目からの超早期経口栄養が可能となった。その結果、胎便排出は促進され、低血糖症や重症黄疸は激減した。新生児早期の消化器系統の一部の異常は、主に出生後の低体温がもたらした末梢血管収縮による腸管の血流量低下に影響されていたと考えられる。体温調節つまり放熱防止のための末梢血管収縮は、恒温動物であるヒトの体温調節機構には有利に働くが、早期新生児の消化管機能の面においては不利益と言わざるを得ない。すなわち、出生直後の赤ちゃんは低体温から身を守るために、消化管機能を犠牲にしてまで体温調節機構を優先的に作動させていると考えられる。この体温調節機構に重過ぎる負荷(寒冷刺激)を与えないように体温管理をし、さらに栄養不足を改善することによって発達障害児の原因となる低血糖症、重症黄疸、Vit-K欠乏性出血症(頭蓋内出血)、などの合併症を予防し得る事がわかった。 高温環境が赤ちゃんの体温調節機構に及ぼす影響 着せ過ぎ(放熱障害)がSIDSの原因 SIDSは仰向け寝運動によって発生頻度は減少したと報告されている。しかし、その理由はわかっていない。最近の報告によれば、SIDSの病態は睡眠からの覚醒反応の遅延が原因と考えられているが、その詳細も不明である。 SIDSの疫学調査によれば,本症はうつ伏せ寝、着せ過ぎ、人工栄養児に多い、また剖検では死亡後にもかかわらず体が温かい、発汗が強い、などが報告されている。特に、剖検所見はSIDSに特有であり注目すべき点である。これらの疫学調査の中にSIDSの原因と結果(剖検所見)が潜んでいると仮定すれば、すべてに共通した体温こそが本症と最も深い関わりがあるのではないかと考えられる。そこで、うつ伏せ寝と着せ過ぎが乳幼児の体温にどの様な影響をおよぼすのか? 睡眠中に何故高体温になるのか? 何故眠りから覚めないで死に至るのか? 等について体温調節機構の側面からSIDSの原因を検討した。 【方法】 深部体温計を用い、正常新生児の中枢(前胸部:C-DBT)と末梢(足底部:P-DBT)深部体温を、児の環境温度として衣服内温度(腹部側、背部側)を同時に連続測定した。また児の心拍数、経皮的酸素分圧(TCPO2)の測定と行動の観察も同時に行った。 【結果】 1)衣服(帽子、靴下、フトン等)の着せ過ぎは、衣服内環境温度を上げ児を温める働きがある事がわかった。 2) あお向け寝からうつ伏せ寝への体位変換に一致して、腹部側衣服内温度が中枢深部体温より高くなった。同時に、末梢深部体温の著しい上昇が観察された。 3)高温環境下では睡眠状態が持続した。その期間、児は外界の刺激に対し反応性に乏しく、心拍変動、TCPO2、筋緊張は減少した。環境温度を下げると自発啼泣(体動亢進)が見られ、心拍変動、TCPO2、筋緊張は上昇した。 4)P-DBTの上昇(末梢血管拡張)時には心拍数減少、睡眠と筋緊張低下がもたらされた。一方、P-DBTの下降(末梢血管収縮)時には心拍数増加、覚醒と啼泣(筋緊張)が認められた。 【考察】 恒温動物は産熱と放熱のバランスを調節し体温を恒常に保っているが、それらのいずれかに異常が生じた場合、予期せぬアクシデントが生じる。乳幼児が着せ過ぎなどによって放熱機能が著しく妨げられ高温多湿環境下に長時間放置された場合、児は高体温を防ぐため 放熱促進と産熱抑制を強いられ、汗をかき深い睡眠状態に陥る。高温環境下では睡眠に伴う体温下降が生じないため、末梢血管は拡張したままで児は眠りから覚めない(覚醒反応遅延)。この持続的睡眠は衣服内環境温度を上昇させると同時に、筋緊張を低下させ呼吸運動を抑制する。環境温度の上昇とともに低酸素血症は次第に進行し、末梢血管拡張(カテコ−ルアミン分泌抑制)、発汗作用に伴う脱水、酸素消費量の増加なども手伝って血圧は低下し続け心停止に至る。SIDSは病気ではなく、人間が恒温状態を維持する為に産熱抑制を強いられる環境に遭遇した時に発症する。SIDSが乳幼児に発症する理由は、それらの危険な環境から乳幼児自身が逃げ出すことが出来ないからである。 おわりに 赤ちゃんは“暑さ”に弱い 環境温度が適当であるかどうかの判断は赤ちゃんの行動を注意深く観察し、さらに発汗状態や手足の冷たさを知ることによって察知することができる。赤ちゃんの行動すなわちsleeping(静)やcrying(動)は体温調節機構の一端を表わしている。放熱と産熱のバランスの違いが“静”と“動”という赤ちゃんの行動パターンの違いを生み出している。出生直後の赤ちゃんのように、身を縮め激しく泣き続ける時は寒いことが多い。手足を伸ばし静かに眠り続ける時は寒くない。寒いときには手足は冷たく、そして激しく泣くこと(熱産生)によって寒いという“危険信号”を出すが、寒くないとき特に暖かすぎる時は、顔色はピンクで手足の温度も高く穏やかに眠り続ける。一般に、赤ちゃんは寒さに弱いと思われているが、暑さに弱いと考えていた方が安全である。寒い時には泣くことによって危険信号を発し、自力で熱を産生し恒温状態を維持しようと努力する。しかし、暑い時の放熱効果は外界の環境因子(温度・湿度・風など)や大人の育児法に影響される。つまり、熱産生は赤ちゃん自身が“能動的”に行っているのに対し、熱放散は他人まかせ、“受動的”となってしまうことが多い。赤ちゃんは体温調節機能そのものが未熟なのではなく、極端な環境温度の異常に遭遇した場合、赤ちゃんが自分の意志でそれに対応することが出来ないといった点が大人との違いである。 文献: 久保田史郎、他.新生児における体温変動の観察.産婦人科治療39(4):463-469(1979) Kubota, S.,et al.. Homeothermal ajustment in the immediate postdelivered infant monitored by continuous and simultaneous measurement of core and peripheral body temperatures.Biol Neonate 54:79-85 (1988) 久保田史郎.安産と予防医学 『THE OSAN』 紀伊国屋書店福岡本店 (2000) 久保田産婦人科医院HP: http://www.s-kubota.net |