朝日新聞 1997年5月17日
赤ちゃんは震えている
温かい母胎から空調の利いた分娩室へ出るのは、まるで海水浴でいきなり冷たい海水に飛び込むようなもの。福岡市の開業医がこのことに気付き、 温度低下を緩やかにする方法でお産に取り組んできた。黄疸症状がほとんどでない、産後の生理的な体重減少率も普通よりかなり低いなどの好結果を生んでおり、新生児の初期保育の試みとして高い評価を受けている。同市で開かれる日本産婦人科学会九州連合地方部会で、十年間に取り扱った約五千の臨床データを発表する。(文・写真 山内正幸)
誕生後2時間 34度→30度→26度
ほとんど出ない黄だん
体重回復普通より速く
10年間で臨床例5000件 
福岡市の産科医

 この医師は、福岡市中央区平尾二丁目で産婦人科医院を開く医学博士久保田史郎さん(52)。
出産直後の温度調整の取り組みは、勤務医だった二十年ほど前に、たまたま出合った逆子のお産がきっかけだった。子宮にいた胎児のお尻に体温計を入れて体温を測ったら、38.5度。数年かけて体温データを集めた。平均すると体内では体温約38度だが、生まれて一時間で約36度に下がった。分娩室は体内に比べ約13度も室温が低く、急激な変化が影響していた。
「赤ちゃんは出産と同時に、一種の低体温ショックを受ける。温度を段階的に下げ慣らしていけば、赤ちゃんが寒さで身を縮こまらせることもなくなるのではないか」と考えた。
 そこで、1983年に開業した時から、出産後すぐに赤ちゃんを保育器にいれ、最初の一時間は34℃、次の一時間は30℃に保ち、二時間後に室温26℃の新生児室に移している。この一時的な温度調整で、赤ちゃんは産後すぐに目をあけて顔色はピンクになり、指をしゃぶりはじめるという。
 元気な赤ちゃんは「食欲」も旺盛だ。生後一時間目には低血糖を予防するため糖水を飲ませ、四時間目に直接母乳をふくませ、赤ちゃんが欲しがって足りない分は人工乳で補った。糖水で赤ちゃんの腸が刺激され、黄疸の一因にもなる胎便がたっぷりでるという効果もあった。
 出産後のこうした保育方法を検証するために開業3年後の’86年から10年間早産などを除く五千八十三例についてデータを集め分析した。
 目立った点は、重症だと脳に障害をおこす恐れもある黄疸が、ほとんど出なかったことだ。普通は生後4日目ぐらいで体が黄色くなる症状がでて、治療が必要な高い「黄疸値」になる割合も20%ほどになるという。これが臨床データでは約1.5%。
 出産後の赤ちゃんは生理的に体重が一時減る。普通は5〜10%マイナスになるが、この減少率も2%以内にとどまった。また減少後、3日から4日で生まれた時の体重に回復し、これも普通の約1週間に比べて速いペースだ。
 久保田さんは同じ臨床データをもとに、妊婦の体重と新生児の出産体重の関係についても考察し、昨年の日本産婦人科学会で発表している。このときは「根菜類などの和食を朝食にとり、正しい食生活習慣を身につけることが、自然で安全なお産につながる。」ことを具体的に示した。
 「産科麻酔医として、お母さんは安産で、赤ちゃんは元気に、というお産に取り組んできた。五千例が示すデータは、私に対する赤ちゃんのメッセージだと受け止めています。」と久保田さんは話している。

久保田さんは東邦大学医学部を卒業、九大医学部の麻酔科、産婦人科、福岡赤十字病院をへて開業した。麻酔医、超音波専門医でもある。

体温の維持は重要
21年前、鹿児島市立病院で生まれた日本初の五つ子をチームで担当した池ノ上克(つよむ)・宮崎医科大学産婦人科教授の話
出産直後の赤ちゃんは胎外の環境に適応していくため、脂肪を燃やすなど非常に多くのエネルギーを使います。この時期に基礎的な体温を維持することは新生児にとって重要な要素で、産後の環境温度を微調節していく方法は適切だと思います。生理的な体重減少率が少ないなどの結果がでたのも、そうした取り組みの成果ではないでしょうか。