西日本新聞
2001年1月11日掲載記事
 深夜、分娩室から響く叫び声で目が覚め、続く産声に胸をなで下ろして、また眠る。そんな夜を重ね産科医の息子はいつしか父と同じ道へ。産科医生活28年で取り上げた赤ちゃんは1万5千人以上。積み上げた研究の集大成を自費出版した。
 「母親と父親に呼んでほしい安産のための設計図」しかし、内容は肥満や便秘の防止といった安産のための基本にとどまらない。嘔吐、体重減少、黄疸。現在の医療現場が単に生理的現象としている新生児の変化を“イエローカード”ととらえ、体温や栄養管理による「予防」を訴える。
 一昨年秋の学会で発表した「乳幼児突然死症候群」(SIDS)の仮説も収録した。「着せ過ぎは赤ちゃんを高体温のまま深い眠りにつかせ、それが進めばオーバーヒート(うつ熱)状態となり無呼吸を誘発する」。話題を呼んだ新説だったが、関係者の反応は鈍かった。出版には「科学的検証を進めたい」との思いも託した。
 お産とお産の合間を縫って自説を練り上げる作業は並大抵のことではない。緻密なデータを集めつづけ十七年。執筆もする生活を続けて三年「もう一回やれって言われても、もうできないよ」と笑う。だが、タイトルはあえて「THE OSAN」(ザ・お産)としたのは海外でも出版するため。今、その翻訳作業に取りかかろうとしている。
 自分で取り上げた娘もまた医学の道に進んだ。どんな医者になってほしいかと問うと「言葉で言わなくてもわかってくれるはず」との答え。