2) 赤ちゃんに予防医学を ―発達障害から赤ちゃんを守るために―
 今、我国では自然の良さが見直され自然派志向が流行しています。お産の現場においても、自然分娩、(完全)母乳哺育等もその例です。生まれたばかりの赤ちゃんを、自然に管理した場合、児にどの様な不利益が生じるかを科学的に分析してみましょう。
 児は分娩を境に急激な環境温度の低下に遭遇し体温下降を余儀なくされます。出生直後の赤ちゃんの低体温は、児の食欲(吸啜反射)そして、嘔吐や胎便排出などの消化管機能に悪影響していたことが分かりました。また、母乳分泌に乏しい生後数日間の児の栄養状態の良、不良が、脳に障害を与える重症黄疸、低血糖症、ビタミンk欠乏性出血症(脳出血)などの発症に深く関与している事実も明らかになりました。『赤ちゃんは黄疸がでて当たり前』、それが我国の常識でした。しかし、この20年間、当院で出生した約10000人の赤ちゃんには、治療(光線療法)を要する重症黄疸の発生頻度は僅か8例と少なく、これまでの重症黄疸の常識を覆す結果が生じたのです。
 何故、当院から黄色い赤ちゃんが消えたのでしょうか?
 その秘密は、出生直後の赤ちゃんの体温管理と栄養法にあったのです。子宮内(38℃)から分娩室(25℃)へと急激な環境温度の低下に直面した赤ちゃんは、生後1時間以内に約2〜3℃の体温低下を強いられます。赤ちゃんは低体温から身を守るために末梢血管を収縮させ放熱を防ぎ、さらに啼泣(筋肉運動)によって熱産生を促進し体温調節を行っているのです。分娩直後の著しい体温下降は手足の血管のみならず消化管の血管をも収縮させ、血流量低下を招いていたのです。新生児早期の嘔吐や胎便排出の遅れは、消化管の持続的な血流量減少つまり蠕動運動の機能低下がそれらの原因だったのです。
 出生初日の赤ちゃんに糖水やミルクを飲ませると、しばしば嘔吐します。その現象を生理的初期嘔吐と呼び、『赤ちゃんが吐くのは当たり前』と考えられていました。しかし、分娩直後の児の体温下降をより少なくする体温管理(保温)によって、当たり前と考えられていた初期嘔吐が激減したのです。その結果、生後1時間目からの超早期栄養が可能になったことで児の栄養不足が改善され、さらに胎便が早く出るようになったことで重症黄疸の発症に変化が生じたのです。その理由は、赤ちゃんが栄養不足(飢餓)になると赤血球が壊れ易くなり、黄疸の基であるビリルビン(神経毒)が血中に増えること、そのビリルビンは胎便中にも沢山含まれている事などが分かっているからです。即ち、重症黄疸を防ぐためには、1) 生後数日間の栄養不足を改善する事、2) 胎便が早く出るような保育管理をしてあげる事、が赤ちゃんをより健康にするための秘訣である事が分かったのです。
 しかし、我国の保育管理とくに栄養法は施設(産院)によって全く異なります。そのため重症黄疸の赤ちゃんが多く出る施設、少ない施設があるのです。治療を要する重症黄疸の発症率は全国平均10〜20%前後、つまり年間20万人前後の赤ちゃんが光線療法の治療をうけていると思われます。重症黄疸の児が多い施設では、2〜3人にひとりの赤ちゃんに光線療法が行われているのです。
重症黄疸の発症率が施設間で何故異なるのでしょうか?
 1993年、厚生省がWHO/UNICEFの母乳推進キャンペ−ン「母乳育児を成功させるための10ヵ条」の後援を開始したこともその要因のひとつです。その第6条は医学的な必要がないのに母乳以外のもの、水分、糖水、人工乳を与えないこと。が謳われているからです。今、わが国では母乳推進運動に拍車がかかり、出生直後から母乳以外のものはいっさい与えないとする(完全)母乳哺育運動が広がっています。その様な施設を赤ちゃんに優しい病院(BFH)として認定されているのです。分娩直後から母乳が満足に分泌するのであれば、母乳以外の糖水や人工乳など飲ませる必要はないのです。しかし、赤ちゃんが障害なく健康に生きるために必要な最少限の摂取カロリー量は50kcal/kg/day(=基礎代謝量)、即ち、3000gの赤ちゃんでは150kcal/day ( 母乳量に換算すると約240ml /day)の母乳分泌が必要なのです。とくに初産婦では、生後3日間の母乳分泌量は基礎代謝量の1/3〜1/5も期待出来ないのです。母乳分泌が不十分な生後数日間の飢餓状態の赤ちゃんを、いかにして栄養不足を補い重症黄疸、その裏に隠れた低血糖症から赤ちゃんを守るかが障害児を少なくする秘訣なのです。当院の母親教室を受講され重症黄疸の原因、低血糖症の恐さを知った全ての妊婦さんは、厚生労働省が勧める完全母乳哺育法ではなく、予防医学に基ずいた当院の哺育法(体温管理+超早期混合栄養法)を望まれます。当院で重症黄疸、低血糖症、新生児出血の赤ちゃんが発症しない理由は、母乳分泌の不足分を出生初日からを糖水と人工乳で栄養を補っているからなのです。
 今日、我国の空調設備の整った大人にとって快適な分娩室の温度は、出生直後の羊水に濡れた裸の赤ちゃんにとって寒すぎていたのです。そのため赤ちゃんの体温は下がり過ぎ、初期嘔吐などの哺乳障害を招く原因となっていました。また、母乳分泌に乏しい生後数日間、栄養を母乳だけに頼ると児は栄養不足(飢餓状態)となり体重は減り続け、治療を要する重症黄疸の赤ちゃんを増やす要因となっているのです。出生直後の低体温から児を守るために保温(保育器内収容)をしたり、飢餓状態の赤ちゃんに糖水や人工乳を飲ませ栄養不足を改善することは科学的根拠に基ずいた医療、予防医学そのものなのです。「母乳育児を成功させるための10ヵ条」その第6条は赤ちゃんに栄養不足(飢餓)を招き、元気に生まれた赤ちゃんに栄養障害を引き起こす可能性を有しています。早期新生児の栄養不足を改善する事は、重症黄疸の児を減らす事だけが目的ではなく、低血糖症や新生児メレナ(脳出血)によって引き起こされる脳障害から赤ちゃんを守るためでもあるのです。予防医学の導入によって病気や障害から赤ちゃんを守ることは、膨大な医療費(光線療法費+入院費)と福祉費の削減にもつながるのです。「黄疸は出て当たり前」、一般的に考えられているこの常識が、一部の赤ちゃんを苦しませていたに違いありません。栄養不足を招く生後3〜4日間、母乳だけの自然の哺育法が良いのか、それとも科学的根拠に基ずいた重症黄疸を少なくする哺育法が望ましいのか、貴女の赤ちゃんにはどちらの哺育法を選択されますか。
 赤ちゃんを科学すると、これまで常識(正常)と考えられていた生理的現象の中に非常識(異常)が多く潜んでいることに驚かされます。当院の正常をより正常にする、その予防医学的な発想(工夫)が赤ちゃんを障害や事故から守ってくれるのです。
久保田史郎  12/1/03