序章 はじめに

日本では女性の社会進出とともに冷え性、便秘、頭痛、肩こり、足のむくみ、そして不妊に悩む女性が増えています。これらの症状は単独ではなく、複数の症状と「冷え」は互いにリンクしています。冷え性は「万病の元」の格言がありますが、冷え性の本態である下肢の「持続的な末梢血管収縮」を改善しないまま妊娠すると、母親だけでなく、子宮内の胎児にも危険がせまります。子宮内環境が胎児に安全かどうかは、子宮を循環する子宮胎盤血流量が正常かどうかによって決まります。子宮胎盤血流の減少が子宮収縮(早産)・胎盤早期剥離、そして胎児の発育遅延を招いているからです。冷え性が子宮内環境を悪くし胎児に危害を加えると同様に、冷え性は人間のすべての臓器(脳・心臓・消化管・肝臓・腎臓・下肢・卵管、骨など)にも血流障害を招き病気を作りだしているのです。例えば、消化管の血流が悪くなれば便秘・下痢・腸閉塞・潰瘍性大腸炎、腎臓の血流が悪くなれば浮腫・尿タンパク・高血圧症、下肢の血流が悪くなれば静脈瘤・深部静脈血栓症、脳や心臓の血流が悪くなれば、頭痛・肩こり・脳梗塞、狭心症・心筋梗塞などを引き起こしているのです。冷え性を科学すると、過労、睡眠不足、タバコ、長時間のデスクワーク、痩せ、運動不足、低温環境などが全身臓器に血流障害を招いて病気を作り出しているのです。その病気こそが、平成29年7月にお亡くなりになった日野原重明先生(聖路加国際病院)が提唱された生活習慣病だったのです。先生は日頃の間違った生活習慣を見直せば、『病気は防げる』の予防医学の重要性を後世に残されたのです。

冷え性は「万病の元」を私に最初に教えてくれたのが出生直後の赤ちゃんでした。新生児の「冷え性」の言葉に驚かれるかも知れませんが、母親の温かい子宮内(38℃)から、日本の寒い分娩室(約25℃)に生まれた出生直後の赤ちゃんの中枢体温は生後40分〜50分で約2℃〜3℃(図1)、冷え性の指標となる末梢深部体温(足底部)は生後1〜2時間で、38℃(胎内)から約30℃まで、平均8℃も下降します(図2)。生まれたばかりの赤ちゃんの呼吸循環動態が不安定になり顔色が青白くなる理由は、出生直後からの冷え性(末梢血管収縮=アドレナリン↑)が関与していたのです。その冷え性を見逃し体温管理(保温)を怠ると、赤ちゃんに最も危険な新生児肺高血圧症、つまり、チアノーゼ・手足の冷え・呼吸循環障害・無呼吸などを誘発します(図25)。また冷え性は消化管や肝臓の血流量を減少させ、哺乳障害の原因となる初期嘔吐、脳に障害を遺す低血糖症を引き起こします。理由は、冷え性(末梢血管収縮)が出生直後から持続すると下肢から心臓に戻る静脈還流量が減少するため血圧が低下し、全身臓器(肺・消化管・肝臓・腎臓、など)を循環する血流量が減少するからです。現代産科学は、出生直後の赤ちゃんのチアノーゼ・初期嘔吐・低血糖・黄疸・10%の体重減少などを生理的現象と安易に考え自然に経過を見ていますが、実際は、どれも予防が必要な病気の前兆なのです(図1)。近年、福岡・宮崎・大阪などで起こったカンガルーケア中の心肺停止事故(脳性麻痺⇒医療的ケア児)は、産科医療補償制度の原因分析委員会が事故報告書に原因不明の乳幼児突然死症候群(SIDS)の疑いがあると報告しましたが、真実は、病院側が出生直後の赤ちゃんの体温管理(保温)を怠ったために引き起こされた医療事故で、冷え性が原因だったと考えています。私は長年の新生児体温の研究から、カンガルーケア中の心肺停止事故は出生直後の寒冷刺激(胎内と胎外の環境温度差)による冷え性(末梢血管収縮=アドレナリン↑)が原因で、原因不明のSIDSは “着せ過ぎ”などによるうつ熱(末梢血管拡張=アドレナリン↓)が原因と考えています。つまり、両者には冷え性とうつ熱(熱中症)の明らかな病態の違いがあるのです。仮に、SIDSが原因不明の病気ではなく、着せ過ぎなどによるうつ熱(熱中症)が原因だとすれば、産科医療補償制度の事故調査委員会は虚偽の報告書を提出したことになります。

冷え性より怖いのが熱中症(持続的な末梢血管拡張=アドレナリン↓)です。熱中症による死亡事故は夏の猛暑時に多いと思われがちですが、それより危険なのが寒い冬に起こる熱中症です。 意外だと、驚かれるでしょう。高齢者の入浴中の溺死、睡眠中の乳幼児突然死症候群(SIDS)は、寒い冬になると増加する事が分っています。厚労省が11月をSIDS予防月間に制定しているのは、寒くなるとSIDSが増える事を知っているからです。入浴中の溺死とSIDSは11月頃から増え始め、1月をピークに8月に向けて少なくなります。寒くなるとお風呂の温度を体温(37℃)より高めに設定し、長風呂になります。大人は赤ちゃんに風邪を引かせてはいけないと考え、寒い冬は睡眠中の赤ちゃんに毛布・帽子・靴下などを着せ過ぎます。すると、衣服内の温度は赤ちゃんの体温より高くなります(図39)。何も見えないフトンの中で赤ちゃんは汗をかき、衣服内熱中症に陥るのです。私は、入浴中の溺死とSIDSは同じ病態、つまり高温環境が引き金となって発生したうつ熱(熱中症)が原因と考えています。高齢者の風呂場での突然死は寒い脱衣所や洗い場ではなく、99%は人間の体温(37℃)より高い湯船の中で亡くなっているからです。窓を閉め切った車の中に乳幼児を置き去りにした時、車内温度が上昇して起きる死亡事故も着せ過ぎによるSIDSと同じ高温環境(うつ熱)が原因です。床暖房の上にフトンを敷き、毛布・靴下などの「着せ過ぎ」は衣服内温度を上昇させ赤ちゃんを高体温(衣服内熱中症)に陥らせSIDSを引き起こしているのです。厚労省はSIDSを「原因不明の病気」と定義していますが、新生児の体温調節の研究および疫学調査などから、私は、「着せ過ぎ」・「温め過ぎ」などによるうつ熱(衣服内熱中症)が原因と考えています。

私は環境温度と新生児の中枢と末梢の深部体温(足底部)の変動に関する研究から、人間が不快(寒い・暑い)な環境温度に遭遇した時、『自律神経は生命維持に最も重要な呼吸循環の制御を無視し、体温調節(放熱機構+産熱機構)を優先して働く特性を有している』ことを赤ちゃんに学びました。自律神経は快適な環境温度では呼吸循環・消化管・糖代謝などの調節を巧みに作動します。しかし、不快な環境温度では、自律神経は体温調節を優先して作動するために、呼吸循環の制御は二次的に体温調節機構の犠牲に遭っているのです。人間が不快な環境温度で病気に陥り、ちょっとした油断で簡単に命を落とすのは、人間は体温調節を優先して働くからです。逆に、自律神経が体温調節を無視して、呼吸循環器の調節を優先して作動する様な事は絶対にあり得ません。仮に、そうだとすれば人間の体温は不安定となり、ヒトは恒温動物ではなくなってしまうからです。季節の変わり目に多く見られる自律神経失調症は、環境温度の変化に伴う体温調節機構の悪戯によると考えています。人間、とくに赤ちゃんや高齢者を安全に、健康に、そして元気に長生きするためには快適な環境温度で生活されるのが一番です。人間は恒温動物でありながら、環境温度の変化に対する体温調節の仕組みについての研究が疎かになっていた様です。この本の内容は、すべて関連の医学会・特別講演などで発表し、科学的根拠に基いて書いたものです。

平成29年7月、34年間の産科開業に終止符を打つ現役最後の私が、日本のお産の常識が生れ変わることを願いつつ、久保田産婦人科麻酔科医院で生まれた約15、000人の分娩記録をもとに、赤ちゃんを発達障害や事故(SIDS)から守るために書き上げた妊婦必携の本、妊婦と赤ちゃんからの皆様へのメッセージです。事故が起きてからではなく、事故を起こす前に読んで頂きたいと願っています。この本が広く大勢の方に読んで頂くことで、国民すべての皆さまの健康と、より安全な出産と育児の手助けとなれば幸いです。「正常をより正常に」の予防医学に基いた私の医療理念が、日本のお産の常識になることを期待しています。