第1章 私が「冷え性」に関心をもった理由
1.産科医になる前に、私が麻酔科に入った動機
―麻酔科で得たものー
私は昭和45年に東邦大学医学部を卒業、直ちに麻酔科(九州大学)に入局しました。産婦人科ではなく最初に麻酔科に入った目的は、お産の基本的管理である産科麻酔(無痛分娩)・救急医療・蘇生術(新生児)・輸血などを勉強しておきたかったからです。麻酔科での2年間の研修では、とくに産科領域のハイリスク患者の麻酔をさせて頂きましたが、それ以上に、開業してからの私の新生児の体温調節に関する研究に役に立ったのが術中・術後患者の体温管理と低体温麻酔を経験した事でした。麻酔科の先輩は、私が術後患者の下肢の体温が冷たいまま一般病棟に帰そうとすると、『下肢の体温が温まるまでリカバリールームで保温をしなさい』と注意されました。私が新生児の「冷え性」に関心をもった理由は、手足が冷たい術後患者さんに合併症が多い事を麻酔科で学んでいたからです。
2.麻酔科から産婦人科へ
麻酔科から産婦人科に移ったばかりの私の眼には、生まれたばかりの赤ちゃんは寒さに震えている様に見えました。新生児の顔色は青白く、下肢を触ると、どの赤ちゃんも冷たくなっていました。麻酔科で手足が冷たい冷え性の術後患者さんに合併症が多いことを知っていた私は、生まれたばかりの新生児を2〜3時間、保育器で温めることにしました。すると、保育器に入れた赤ちゃんは顔色が良くなりピンク色で、早く両目を開け、指しゃぶりを始めたのです。それを見た私は、生後1時間目から糖水を飲ませる事にしました。産科の先輩は、早く飲ませると嘔吐するから危険と注意を受けましたが、不思議に嘔吐する赤ちゃんは一人もいませんでした。
保育器(34℃)で温めた赤ちゃんは初期嘔吐もなく糖水をグイグイと美味しそうに飲み出すのです。私が産婦人科に移った頃は重症黄疸の赤ちゃんが多く、交換輸血は珍しくありませんでした。ところが、保育器に入れ、糖水・人工ミルクを早くから飲んだ赤ちゃんには治療が必要な重症黄疸は殆んど出ませんでした。同僚の産科医は、黄疸は出て当たり前(生理的現象)と考えていましたが、私は当時から重症黄疸は飢餓(栄養不足+脱水)が原因ではないかと疑っていました。理由は、出生直後に保温をして、生後1時間目から糖水・人工ミルクを飲んだ赤ちゃんに重症黄疸が出なかったからです。出生直後に保育器で体を温めると、なぜチアノーゼ、初期嘔吐が出なくなったのか、出て当たり前と考えられていた重症黄疸が何故出なくなったのか、これ等の疑問を解明する事が私のライフワークと考え、開業の準備を始めたのでした。
■体温の研究
昭和55年に九大病院産婦人科を辞し、福岡日赤病院に就職した私は、新生児の体温調節機構に関する研究をさらに詳しく知るために中枢深部体温と末梢深部体温(足底部)を同時に連続的(30秒毎)に測定、体温のほかに心拍数を加え体温調節の仕組みを研究し始めました。九大病院に在籍していた頃は、私が主治医の赤ちゃんだけを保育器に入れていましたが、日赤病院に就職してからは全ての新生児を保育器に入れてケアすることになりました。それは、今、日本で大きな社会問題になっている発達障害児の増加、その原因の一つと考えられる低血糖症の赤ちゃんとの運命的な出会いがあったからです。
■体温調節機能不全に陥った「低血糖症」の赤ちゃんとの遭遇
開業前の1981年、福岡日赤病院に勤務していた私は新生児の体温調節の研究中に、偶然にも体温調節機能不全に陥った赤ちゃんに遭遇しました(図3)。児は正常成熟新生児(3036g)で元気に生まれました。母親に糖尿病などの合併症もなく、分娩中の低酸素血症もありませんでした。児は通常の室温(24℃〜26℃)でケアし、分娩直後から中枢と末梢深部体温、心拍数を同時にモニターしていました。出生直後の児の体温(直腸温)は正常(38.2℃)でしたが、生後2時間目頃から中枢深部体温と末梢深部体温があたかも無脳児(図4)であるかのように両者は並行して下降していました。さらに生後4時間目に中枢深部体温が2℃以上も低下したにもかかわらず、体温調節のための自律神経機能は作動せず、放熱抑制(末梢血管収縮)と産熱亢進(啼泣=筋肉運動)のための体温調節機構が全く作動していません。心拍数はサイレント(平坦)で、児は見た目にも穏やかで、啼泣・体動もない静かな状態が持続していました。通常では見られない体温の異常に気づいた私は咄嗟に低血糖症を疑い、血糖値を測定したところ、驚くことに血糖値は8mg/dl と脳に障害を遺す重度の低血糖症でした(正常血糖値:40mg/dl以上)。低血糖に対する敏速な治療(糖水の経口摂取+保育器内収容)により、児は後遺症を残すことなく元気に回復しました。体温の測定中でなければ体温調節の異常(低血糖症)に気付かず、脳に重篤な後遺症を残した症例でした。私は、低血糖症の赤ちゃんは見ただけでは異常が分からないという事を、この低血糖症の一例から学びました。つまり、重度の低血糖症に陥りケイレンや無呼吸発作が起きない限り、症状が表に出ない中等度の低血糖症の赤ちゃんは見逃され、数年後に脳に後遺症が出てくる事を予測していました。
私は、開業前から低血糖症の赤ちゃんを防ぐためには何に注意すれば良いのか、その設計図を考え始めていました。34年前に書いた低血糖症を防ぐための設計図を今も大事に保存していますが、原因不明の脳障害は低血糖症が原因と予測した私の読みはズバリ当たっていたようです。この低血糖症の赤ちゃんとの出会いが、開業してからの原因不明の脳障害(発達障害)の予防法についての研究を始めるキッカケになったのです。わたしは、低血糖症の赤ちゃんが増加すると、原因不明の脳障害をもった赤ちゃんが増え出す事を当時(1981年)から予測していたのです。低血糖症が発達障害の原因と言うならば、なぜ低血糖症の赤ちゃんが急激に増え出したのかを説明しなければなりません(図45)。
―低血糖症の原因―
1981年に経験した低血糖症の一例は、胎児の「高インスリン血症」が原因ではないかと疑いました。理由は、母親の妊娠中の体重増加は16kgで太り過ぎであった事、温かい保育器(34℃)に入れ低体温を防ぎ、糖水と人工ミルクを飲ませただけで、2時間後には血糖値は正常域に回復したからです。子宮内の胎児が高インスリン血症児であったならば、出生直後に赤ちゃんが低血糖症に陥るのは当然予測されることです。分娩前に診断がつかない高インスリン血症児、つまり、予測が出来ない低血糖症を防ぐためにはどうすれば良いのか、その予防策を考え、正常に生まれてきた赤ちゃんをより元気にする為の設計図(久保田式新生児管理法)を作ったのは、この低血糖症の赤ちゃんとの出会いがあったからです。
―私が考えた低血糖症の予防法―
寒い分娩室に生まれてきた赤ちゃんを直ちに保育器で温め冷え性(末梢血管収縮)を防ぎ、出来るだけ早く糖水・人工乳を飲ませる以外にないと考えました。保温の目的は、冷え性の赤ちゃんに糖水・人工乳を与えても飲もうとせず、飲んでも嘔吐するからです。次に、胎児の高インスリン血症を防ぐためには妊婦の肥満(糖分の摂り過ぎ)に注意すべきと考え、妊婦の肥満(体重管理)に注意を促すようになりました。私が、開業してから患者さんに嫌われても体重管理(肥満対策)に厳しかったのは、低血糖症による原因不明の脳障害(発達障害)を防ぐためだったのです。しかし、妊娠中に太り過ぎると赤ちゃんを高インスリン血症にし、出生直後に低血糖症に陥らせ発達障害を増やしますと、私は口が裂けても妊婦さんに言えませんでした。ところが最近になって、米国の研究チームは母親の肥満と自閉症との関係を次の様に述べています。
<自閉症、母親の肥満と関係>
ウォールストリート・ジャーナル2012年4月10日 米カリフォルニア大学デービス校とバンダービルト大学の研究チームによると、『肥満の母親からは自閉症やその他の発育異常と診断される子どもが生まれる可能性がそうでない母親と比較してかなり高いことが分かった。肥満と発達障害との関連はとりわけ懸念される。米国の出産年齢の女性のうち約3分の1が肥満とみられるという。肥満でない母親と比較すると、妊娠前に肥満だった母親から自閉症児が生まれる確率は60%高く、その他の認知・行動面での発達遅延がみられる子どもが生まれる確率は2倍だった。研究チームは、肥満やその他のメタボリック(代謝障害)症状が自閉症やその他の発達障害の一般的なリスク要因であることを研究結果が示唆していると指摘した。ヘルツピッキオ博士は一つの可能性として “インスリン” の関与を挙げた』。Shirley S. Wang
私は、1981年に低血糖症の赤ちゃんに出会ったのを契機に、福岡日赤病院では全ての赤ちゃんを保育器に入れ、生後1時間目から糖水・人工ミルクを飲ませる様にしました。赤ちゃんを保育器(34℃)に入れ下肢の冷え性を防ぎ、生後1時間目から糖水・人工ミルクを飲ませただけで低血糖症・重症黄疸・脱水の赤ちゃんが出なくなり、チアノーゼをはじめ生理的現象と考えられている初期嘔吐なども出なくなったのです。それまで初期嘔吐や重症黄疸などで小児科病棟に当たり前の様に入院していた赤ちゃんは、出生直後に2時間保育器に収容、冷え性(持続的な末梢血管収縮)を予防しただけで激減したのです。私は赤ちゃんに良いことをしたと喜んでいましたが、入院患者が減った小児科の医師と院長先生にとっては面白くなかったようです。入院児が減ると、病院の収益が少なくなるからです。
■新生児体温の研究で医学博士に
私は1983年4月に福岡市で開業、その後も体温の研究を続けていました。その新生児の体温調節機構に関する研究(文献1)が認められ、開業して6年目の平成元年に九州大学から医学博士を授与されました。その時は、もう44歳になっていました。医学博士をとったことを云々する積りは毛頭ありません。私の長年の研究である新生児の体温調節の研究が認められたことを強調したかっただけです。日本には出生直後の新生児の体温調節に関する研究で医学博士をとったのは私だけと思われるからです。敢えて言わせて頂くならば、私は新生児体温の研究では、国内で第一人者と自負しています。
私のライフワークである『環境温度が新生児の体温調節機構に及ぼす影響』の研究は、臨床体温を専門とする麻酔科関連の学会からは高く評価して頂きました。第38回九州大学麻酔・蘇生学教室開講記念会(2000年)・第9回日本小児麻酔学会(文献2)(2003年)・日本臨床体温研究会(2004年)(文献3)などで 「環境温度が赤ちゃんの体温調節機構に及ぼす影響」と題して教育講演をさせていただきました。また日本臨床体温研究会からの依頼原稿(文献4)や体温のバイオロジー(監修 山蔭道明)には、「乳幼児突然死症候群(SIDS」はうつ熱時の産熱抑制が原因」(文献5)を書かせて頂きました。麻酔科関連以外では、2008年8月に第21回鹿児島県母性衛生学会(鹿児島大学産婦人科 堂地教授)に招かれ、『赤ちゃんを発達障害・SIDSから守るために』を特別講演させて頂きました(文献6)。
―私のSIDS・発達障害の研究が厚労省・医学会に無視される理由―
開業以来の、私の新生児の体温と栄養に関する研究は進み、2004年に臨床体温研究会で「赤ちゃんを発達障害・SIDSから守る為に」を特別講演させて頂いた時には、SIDSと発達障害の原因と予防法に関する研究は、ほぼ完成していました。その時の講演が認められ、『環境温度が新生児の体温調節機構に及ぼす影響について ー赤ちゃんを発達障害・SIDSから守る為に―』と題して、臨床体温誌(第23巻1号 2005年8月発行)に論文を発表しています。この論文は、当院のHPに全文を掲載していますので、ご覧になってください。私は、日本SIDS学会(2002年2月)において、『SIDSは着せ過ぎによる高体温(うつ熱)が原因』と発表し、厚労省の「原因不明の病気」を否定しました。ところが、SIDS学会の複数の役員から、SIDSは「高体温(うつ熱)が原因ではない」と反論され、現在もSIDSは「原因不明の病気」と定義されたままです。しかし、2005年に、厚労省SIDS研究班の高津光洋分担研究者(東京慈恵会医科大学法医学)も、『SIDSは疾患とすべきではない』と、厚労省のSIDSの定義に反対されていたのです。尚、久保田が1999年に発表したSIDS Mechanism は、米国のYahoo アメリカでSIDS Mechanismで検索すると、2008年頃から、現在もトップにランクされています。米国では、私の1999年発表のSIDS Mechanismの「着せ過ぎ」・「温め過ぎ」に注意は常識になっています。しかし、日本では厚労省・学会に無視されるのです。1999年発表のSIDSのメカニズム を米国が認めて、厚労省が認めないのは、何故でしょうか?
―厚労省がSIDSの定義(原因不明の病気)に固守する理由―
厚労省がSIDSの定義(原因不明の病気)を見直さない理由が分ってきました。日本周産期新生児学会・日本母性衛生学会・日本産婦人科医会などの学会も、私の『SIDSのメカニズム』についての研究を学会として認める訳にはいかない事情がある事も分ってきました。一つの例が、カンガルーケア中に起きた心肺停止事故(脳性麻痺⇒医療的ケア児)、その裁判で被告病院側から意見書を書いた某国立大学病院産婦人科のS教授は、私(久保田)が日本で発表した医学論文は「世界の一流誌ではない」と、私が国内で発表した論文を根拠もなく意見書の中で否定されたのです。臨床体温のプロである麻酔科関連の学会が認めた私の論文を、体温に関しては素人同然の産婦人科教授(産科医療補償制度の委員)は私の論文を認める訳にはいかない事情があったのです。私が1999年に世界で初めて発表した「SIDSのメカニズム」についての学会発表・論文(文献2〜文献10)を認めたら、厚労省・医学会にとって不利益が生じるからです。
―SIDSは「原因不明の病気」ではないー
国(厚労省)や医学会にとって都合の悪い医療事故(突然死)が起こった時、たとえば子供にワクチンを打って死亡した熊本の例など、私の「SIDSのメカニズム」の仮説を厚労省が認めたら、本当はワクチンによる死亡事故を、SIDSの原因不明の病気で誤魔化しがきかなくなるからです。S教授が私の論文を否定した理由は、産科医療補償制度(原因分析調査委員会)はカンガルーケア中の心肺停止事故を原因不明とし、全ての事故例を乳幼児突然死症候群SIDS(ALTE)の可能性が強いと、虚偽の事故報告書を書かなければならなかったのです。カンガルーケア裁判は全て被告病院側の無罪になりましたが、それは産科医療補償制度がカンガルーケア中の心肺停止事故を原因不明とし、事故報告書に『原因不明のSIDS(ALTE)が考えられる』と虚偽の事故報告書を提出したからだと、私は考えています。厚労省・日本SIDS学会などが私の「SIDSのメカニズム」を認めたら、事故調査委員会はカンガルーケア中の心肺停止事故をSIDS(原因不明の病気)として虚偽の報告書を提出できなくなります。カンガルーケア(早期母子接触)を強引に推奨した厚労省・学会にとって、SIDSは原因不明の病気のままにしておいた方が、都合が良いのです。もし、厚労省の「SIDSは原因不明の病気」の定義が日本に存在しなかったならば、カンガルーケア裁判は原告(患者側)の勝訴になっていた可能性が強いと、私は考えます。カンガルーケアの危険性(心肺停止・発達障害)の報告があったにも拘わらず、それらの報告を無視し、検証もせず、強引にカンガルーケアを推奨した厚労省の責任が本当は問われるべきです。カンガルーケア裁判の問題点は、被告病院側に明らかな医療ミスがあったとしても、厚労省・学会は病院側の過失を裁判で絶対に認める訳にはいかなかった事です。カンガルーケア中に心肺停止事故に遭った赤ちゃんのご家族は産科医療補償制度のSIDSの虚偽の報告書に騙され、泣き寝入りされているのです。厚労省のSIDSの定義が見直されない限り、事故は繰り返され、医療的ケア児は今後も増え続けると予測します。一方、事故を起こした病院側はSIDSの「原因不明の病気」の言葉に助けられ、事故を反省する考えが全くありません。福岡市で起きた赤ちゃんに優しい病院に認定された厚労省直轄の国立病院機構では、同じ事故を二度も繰り返していたのです。それでも、国立病院への保健所の立ち入り検査はありません。保健所の立ち入り検査は事故を起こした国立病院ではなく、SIDSと発達障害の原因と予防法を研究してきた久保田産婦人科麻酔科医院に対する二度の嫌がらせの立ち入り検査だったのです。それは、明らかに保健所の不法な立ち入り検査でした。当院への嫌がらせは保健所の立ち入り検査だけでなく、さらにエスカレートするのです。その嫌がらせが原因で、私は34年間続いた医院を閉じる決心をしたのです。久保田の「SIDSのメカニズム」の研究は、第11章で詳しく述べます。少し、話題を変えましょう!
■妊婦水泳との出会い
私は1983年4月に開業しましたが、偶然にも同じ日に、徒歩5分の所に福岡スィミングクラブがオープンしたことを知り、私は直ぐにプールの代表(高橋純社長)にお会いし、「妊婦水泳をさせて下さい」とお願いしました。高橋社長から快く、「一緒にやりましょう!」の返事をいただいた私は、それから妊婦水泳の勉強を始めました。妊婦水泳は、故 室岡 一先生(元日本医科大学産婦人科教授)が日本ではじめて妊婦水泳を取り入れてご活躍中でした。私は福岡で学会があった時に室岡先生を空港に迎えに行き、ホテルではなく久保田産婦人科に直行していただき、深夜遅くまで妊婦水泳の指導法を教えていただきました。それからも数回、プールにも来て頂き、実際に指導を承りました。室岡先生は福岡の “ウニ”が好物で、ふたりで食事にでかけるのを楽しんでおられました。突然、室岡先生は私に御自分が病気である事を打ち明けられました。『妊婦水泳を全国にひろめて下さい。』その言葉が、今も私の脳裏に焼き付いています。この本を出版するのも妊婦水泳の良さを全国の皆様に知って頂きたいと願っているからです。
―私が妊婦さんに水中運動を推奨する理由―
1983年の開業当時、日本は高度経済成長の真っ只中で、食生活は豊かで、太り過ぎの妊婦さんが目立ちました。美食と運動不足で、高インスリン血症の赤ちゃんが増えるのを心配した私は、開業当初から妊婦の肥満防止に努めました。食べ過ぎたら、 “運動をして消費すれば良い” の発想があった私は、テニスやゴルフは危険だが、水中の運動ならば浮力もあって妊婦さんにも安全と考えたからです。また麻酔科時代に、妊娠中毒症(高血圧症)の患者さんは肥満と足が浮腫んでいる妊婦さんが多い事を知っていたからです。妊婦水泳の噂は瞬く間にひろがり、多い時は一度に60人(25m×6レーン)も泳いでおられました。最近は半分位に減りましたが、その要因は当院の分娩数が減った事、それ以上に勤労妊婦が増え「プールに行く時間がない」が影響していると思われます。開業して5年ほど経って、当院の周産期統計をとったところ、妊婦水泳に参加された妊婦さんに妊娠高血圧症・胎盤早期剥離が出ていない事が分りました。妊婦さんがプールに行くと、なぜ妊娠高血圧症・胎盤早期剥離が出なくなったかについても研究したくなってきました。その後の研究で、水中運動(水中散歩)には、利尿作用・高血圧症の予防・冷え性の改善など、水中運動には想定外の作用があることが分ってきました。冷え性は「万病の元」を私に教えてくれたのが出生直後に温かい保育器に入った赤ちゃんと水中散歩に参加された妊婦さんだったのです。
■私が、この本を書く理由
私のクリニックには医療事故やSIDSに遭われた全国の方々から沢山のメールが来ます。特に多いのが発達障害と診断されたこどもの母親からの悲痛な叫びです。昨日もメールが来ました。『母乳が一滴も出ていなかったのに、病院側はなぜ人工ミルクを飲ませてくれなかったのでしょうか、まるで「虐待」です。助産師の「赤ちゃんは3日分の水筒と弁当を持ってくる」の言葉を信じたばっかりに・・・・・ 』、何年経っても同じ質問と後悔の便りばかりです。私は、返事を書くたびに出生直後からの寒い分娩室でのカンガルーケアと完全母乳の危険性をもっと世の中に広めなければならないとの思いから、この本を書く一大決心をしたのです。
新生児冷え性と云うと同僚の医師・助産師は笑うかも知れませんが、出生直後に寒い分娩室でカンガルーケアを行い、冷え性(持続的な末梢血管収縮)を放置すると、赤ちゃんは低血糖症に陥り、発達障害の赤ちゃんが増えます。日本には “隠れ”高インスリン血症児が6人に1人もいるからです(図22)。私は出生直後の寒い分娩室でのカンガルーケアと母乳が出ていない時期(とくに生後3日間)の完全母乳に警鐘を鳴らすために、2014年11月に小学館から『カンガルーケアと完全母乳で赤ちゃんが危ない』を出版しましたが、なぜか福岡では本屋に並んでいません。ネットで久保田史郎を検索すると、アマゾンで購入できますので、この本もぜひ読んで頂きますようお願いします。私は新生児体温の研究者として、周産期医療に携わるすべての医療従事者、とくに産科医・助産師さんは勿論、医学生・助産師学生・看護学生の皆さん、保育士さん、これから結婚・妊娠・分娩を控えておられる全ての女性に、事故を起こす前に是非読んで頂きたいと願っています。冷え性とは何か、昔の人は何故「冷え性は万病の元」と言ったのか、その答えは、第2章から始まります。
|