第7章 自律神経の落とし穴

先進国である日本の分娩室は、25℃前後に空調されています。衣服を着た大人には快適ですが、裸で、羊水に濡れ、温かい母親の胎内(38℃)から13℃も低い分娩室に生まれたばかりの赤ちゃんにとっては寒すぎます。分娩室が寒過ぎると、出生直後の赤ちゃんは体温下降を防ぐためにアドレナリン(血管収縮ホルモン)を分泌します。それは末梢血管を収縮させ、皮膚からの放熱を防ぐためです。ところが、下肢の末梢血管と心臓(右心室)から肺に向かう肺動脈血管は生理学的にリンクしている為に、放熱を防ぐためにアドレナリンが分泌し続けると、本来拡張すべき肺動脈血管までも収縮させます。赤ちゃんに最も危険な新生児肺高血圧症(チアノーゼ)は放熱を防ぐためのアドレナリンが肺動脈血管を収縮させるために起きる病気なのです。ここで見逃せない点は、自律神経は不快な環境温度では万能ではなく、“落とし穴”がある事です。人間が不快な環境温度に遭遇した時には、『全身の臓器を司る自律神経は、生命維持に最も重要な呼吸循環の制御を無視し、体温の恒常性(37℃)を維持するための体温調節機構(放熱+産熱)の方を優先して働くという特性を持っていることです』。不快な環境温度では、人間(自律神経)は体温調節を優先して働くという “優先順位”を持っている事を知っている人は、殆んどいないと思われます。もしかしたら、この優先順位にまだ誰も気が付いていないかも知れません。赤ちゃんが寒い環境温度に遭遇した時、自律神経は体温調節を優先するために、呼吸循環・消化管・肝臓など全ての機能は体温調節機構の影響を受けます。その影響が短時間であれば問題ないのですが、長時間に及べば、赤ちゃんの呼吸循環・消化管・肝臓などの機能は体温調節機構(放熱抑制+産熱亢進)の二次的被害に遭う事になります。自律神経の落とし穴とは、人間が不快な環境温度に遭遇した時は、体温と呼吸循環の調節を同時に制御する事が出来ないという事です。つまり、呼吸循環・消化管などの全ての臓器は、不快(寒い・暑い)な環境温度の自律神経機能の二次的被害に遭っているのです。自律神経が呼吸循環・消化管などの機能を正常に作動するのは、人間が快適な環境温度で、冷え性もなく、熱中症でもなく、恒温状態に安定している時だけなのです(図12)。

■昔の産婆さんは、赤ちゃんをなぜ産湯に入れていたのか
赤ちゃんは分娩を境に温かい子宮内(38℃)から約13℃も低い分娩室(24℃〜26℃)に生まれてきます。この胎内と胎外の環境温度差が刺激となって肺呼吸を始めるのです。もし分娩時に寒冷刺激がなければ呼吸開始が遅れるか、ほかに何らかの刺激がなければ、赤ちゃんは呼吸を始めようとしません。例えば、水中分娩を例に挙げると、羊水の温度と同じ38℃のお風呂の中で水中出産をした時には、赤ちゃんは寒冷刺激(温度差)を感じませんので、お風呂の中では呼吸を始めません。だから水を吸わないのです。赤ちゃんは38℃のお湯の中から外に出て、皮膚に寒さを感じてオギャと泣き出すのです。この様に、分娩時のある程度の寒冷刺激は呼吸を始める上で、とても重要な役割を果たしているのです。しかし、寒冷刺激が強すぎて、その影響が長時間に及ぶと、赤ちゃんはアドレナリンを分泌し続け、末梢血管を持続的に収縮させ、放熱を防ごうとします。出生時のアドレナリンの持続的な分泌が肺動脈血管の拡張を妨げ、肺高血圧症(チアノーゼ・低酸素血症・無呼吸・手足が冷たい)を引き起こすのです。この事は、信州大学医学部の坂口 けさみ医師らが『全国産科施設(1.124施設)へのアンケート結果に基づくカンガルーケアの現状と課題』題して、第28回 周産期学シンポジウム2010年1月(平成 22年)に発表されています(図25)。

昔の産婆さんは、産湯を沸かし部屋の温度をあげ、赤ちゃんを冷え性(持続的な末梢血管収縮)から守っていました。ところが、2010年に坂口けさみ医師らがカンガルーケアの危険性を学会誌に発表されていたにも拘わらず、日本の伝統的な『産湯』は日本周産期新生児学会、他7学会が発表した『早期母子接触の留意点』によって2012年に廃止されたのです。それが、カンガルーケア(早期母子接触)中の心肺停止事故(脳性麻痺)や発達障害のリスクを増やす要因となっているのです。教科書(ガイドライン)を一刻も早く見直さなければ、これからも発達障害児が確実に増え続けると断言します。現代産科学より、昔の産婆さんの方がより科学的な新生児管理を行っていたと思われます。

■安心できない産声
 寒い分娩室で「オギャ」と産声をあげ元気に泣いたとしても、肺呼吸が順調に始まったのだと安心するのは禁物です。何故ならば、元気に産声をあげ泣いた赤ちゃんが、その後、カンガルーケア中に紫色(チアノーゼ)になり、手足が冷たくなって、心肺停止の状態で見つかる事例が全国で相次いでいるからです。産声を上げ呼吸を始めたとしても、心臓(右心室)から肺動脈を通して肺に十分な血液が流入しなければ、赤ちゃんはガス交換ができず低酸素血症に陥り、心肺停止のリスクにさらされるのです。また肺で酸素化された動脈血を心臓(左心室)から全身に送り出すための血圧(心収縮力)が低下すれば、全ての臓器、とくに脳細胞は低酸素血症による障害を受けることになります。産声をあげ元気に泣いた赤ちゃんに、何故チアノーゼが出たり、血圧が下がったりするのでしょうか。生後間もない赤ちゃんのチアノーゼの原因は、放熱を防ぐためのアドレナリンが肺動脈血管を収縮させ、胎児期の動脈管から肺動脈への血流の切換えが順調に進まず、肺で酸素化されていない血液が直接大動脈に入り込むからです。

■人間が安全に生きるための条件
当院が出生直後の赤ちゃんを中性環境温度の保育器(34℃)に入れる理由は、出生直後からの体温下降を少なくして、より早く恒温状態に安定させるのが目的です。保育器の室温が34℃であれば下肢の体温は34℃以下に低下することはなく、体温調節は末梢血管の収縮と拡張つまり末梢血管のリズミカルな体温変動によって行われます。このリズミカルな体温変動によって末梢血管の持続的な収縮、つまりアドレナリンの持続的な分泌を解除することができるのです(図2)。赤ちゃんが安全に元気に生きるための条件は、自律神経(交感神経/副交感神経)のバランスが平衡に保つような快適な環境温度の設定が重要なのです。出生直後の新生児に見られるように自律神経系のバランスが大きく崩れ、交感神経優位の状態が持続した時に、呼吸循環動態に異常を来し、チアノーゼが出るのです。つまり、自律神経のバランスを平衡に保つ温かい環境温度の設定が胎外生活への適応過程を円滑に進めるのです。

■出生直後の赤ちゃんは「温めるケア」を望んでいます
人間は快適な環境温度にいる時が自律神経のバランスが平衡に保たれ、呼吸循環などの諸臓器の機能が最も安定し、安全に生きられるのです。現代産科学は赤ちゃんが恒温動物であることを忘れているとしか思えません。なぜならば、日本の分娩室は赤ちゃんではなく、衣服を着た大人に快適な環境温度(24℃〜26℃)に設定しているからです。寒い分娩室でのカンガルーケア中の赤ちゃんは、母親のお腹の上で寒さに震えているのです。

へその緒が切断され、母親からの栄養(糖分)が突然に途絶えた赤ちゃんは、エネルギー(糖分)消費の多い寒い分娩室でのカンガルーケアではなく、全身を温めるケアを望んでいます。寒い部屋では、熱産生のために糖分を大量に消費してしまい、とくに完全母乳の赤ちゃんは低血糖症に陥るリスクが増えるからです。分娩室の温度設定は赤ちゃんには出来ませんので、医療従事者が管理するしかありません。しかし、日本の産科医・助産師は、分娩室の温度を赤ちゃんではなく、大人に快適な環境温度(24℃〜26℃)に設定する間違った習慣を身につけてしまっているのです。分娩室を大人に快適な環境温度に設定するならば、医師・助産師は出生直後の赤ちゃんにも快適な環境温度を、保育器などを用いて準備すべきです。ところが助産師は、保育器は2500g以下の低出生体重児のものと考え、元気に生まれた正常成熟児は保育器に入れる必要がないと決めつけています。昔の産婆さんなら、温めるケアの重要性を理解してくれる筈です。ところが、カンガルーケアに積極的な医師・助産師は体温管理(保温)の重要性が分からないままに、寒い部屋でカンガルーケア中に心肺停止事故を繰り返しているのです。心肺停止事故(脳性麻痺)の責任は、赤ちゃんと母親にあるのではなく、病院側にあるのは当然です。カンガルーケア裁判は原告(患者側)が敗訴になりましたが、全ての裁判はやり直しすべきと考えます。原告の患者家族の皆さんは、どなたも泣き寝入りされています。ひどいケースは福岡市で起きた事例です。帝王切開術後の患者さんのお腹の上に子宮収縮を目的にアイスノンを載せ、カンガルーケアをさせていました。母親のお腹の温度(皮膚温)はつめたくなり、赤ちゃんが冷え性(末梢血管収縮)に陥るのは当然です。それでも病院側と産科医療補償制度の原因分析委員会は冷え性とは全く反対の乳幼児突然死症候群(SIDS)の疑いと診断していました。カンガルーケア中の心肺停止事故を原因不明のSIDSで患者家族を誤魔化し、虚偽の報告書を提出した産科医療補償制度の原因分析委員会は大いに反省すべきです。

■当院の「温めるケア」を世界の赤ちゃんに!
久保田産婦人科麻酔科医院では1983年の開業以来、未熟児はもちろん元気に生まれた正常成熟新生児 約15.000人の全ての赤ちゃんを出生直後に温かい保育器内(34℃⇒30℃)に2時間収容し、冷え症(末梢血管収縮)を防いできました。34年以上も前から、当院と同じ管理を行ってきた病院は世界でも、何処にも無いと思われます。保育器内に入れた赤ちゃんは、2時間経って保育器から新生児室(24℃〜26℃)のコットに出しても、下肢(足底部)の末梢深部体温が34℃以下になることはありません。つまり、生後2時間、温かい保育器に入れると冷え性の赤ちゃんは出ないのです。しかし、体温管理(保温)を怠り25℃前後の分娩室でケアすると、下肢の体温は生後1〜2時間で30℃以下まで低下する事がこれまでの研究で分っています(図2)。この様に、出生直後の保温を怠ると赤ちゃんは冷え症(末梢血管収縮)に陥り、持続的な末梢血管収縮(アドレナリンON)が心肺停止事故の原因となる新生児肺高血圧症(チアノーゼ⇒低酸素血症)を引き起こしているのです。

出生直後の末梢血管収縮(放熱抑制)は新生児の体温調節には有利に働きますが、末梢血管を収縮させるためのアドレナリンが呼吸循環動態・肝機能(糖代謝)・消化管機能などに悪影響を及ぼしているのです。赤ちゃんにとって冷え性は「万病の元」とは、アドレナリン(血管収縮ホルモン)が全ての臓器に適応障害(病気)を作っていることです(図1)。赤ちゃんを元気に育てるためには、出生直後の冷え症を防止し、赤ちゃんを恒温状態により早く安定させることが重要です。日本の寒い分娩室では、出生直後の体温管理(温めるケア)が新生児管理の基本である事を強調します(図2)。以上の理由から、日本周産期新生児学会が推進するカンガルーケア(早期母子接触)は、赤ちゃんの体温が恒温状態に安定した後から行うべきです。

■結論
 人間のすべての臓器は交感神経と副交感神経の二つの自律神経系によって制御されています。寒い分娩室では交感神経優位の状態、つまり、アドレナリン分泌が持続しますので、特に出生直後の赤ちゃんには不利益です。交感・副交感神経のバランスが平衡に保つための快適な環境温度を準備してあげる事が何より重要です。出生直後の赤ちゃんを保育器に入れることは、持続的なアドレナリン分泌を抑え、肺動脈血管を拡張、肺血流を増やし、ガス交換を促進するのが目的なのです。未熟児だけではなく、たとえ正常成熟新生児であっても、日本の寒い分娩室では体温管理(保温)が絶対に必要です。久保田式新生児管理法を行えば、呼吸循環器系に障害(チアノーゼ)が出ないだけでなく、生理的と考えられている初期嘔吐、黄疸、低血糖、体重減少などにも著しい改善が見られます(図26)。日本の寒い分娩室で出生直後からカンガルーケアをする事は、危険極まりない医療行為である事を厚労省と学会には分かって頂きたいと思います。日本の寒い分娩室では出生直後からのカンガルーケアではなく、昔 産婆さんが産湯に入れていた様に、温めるケアが最も大事なのです。